立本寺

島左近の墓

島左近の墓は立本寺の墓地にあります。

「妙法院殿島左近源友之大神儀」裏面に「寛永九壬申(1632年)六月二十六日」とあり台座に「土葬」ときざまれています。
島左近といえば、石田三成の軍師として、当時にあってはかなりの著名な武士ですが、出所死没についてはあきらかにしません。三成にはすぎたるものが二つあり、その一つは三成の佐和山城、いま一つは島左近といわれ、三成は所領二万石の半分を左近に与えて厚遇しました。
左近は名は勝武(かつたけ)、友之(ともゆき)、清胤(きよたね)または清興(きよおき)とも称したといいます。はじめ筒井氏に仕え、のちに三成に見い出され、慶長五年(1600年)の関ケ原の戦いには三成を助けて奮闘しましたが、惜しくも破れました三成は捕らえられ、後に処刑にあいましたが、左近は混戦のうちに消息を絶ったとも、あるいは戦死したともいいます。墓石の銘には没年は寛永九年六月二六日と明記していますので、関ヶ原合戦後、ひそかに逃れて上洛し、没するまでの三十年間を洛中のどこかに身を隠していたのではなかったかとも思われます。因みに石田三成の墓は妙心寺の寿聖院、大徳寺の三玄院の二ヵ所にあります。

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